2011年6月30日木曜日

6月30日 「地域づくりのこれからを探る」 

奥会津大学・第Ⅱ期・コミュニティリーダー養成・起業術コース開校しました。

本年度の第1回目の講座は、澁澤寿一氏による講座です。昨年度、澁澤先生がお話しして下さった『地域作りの「今」を探る』を承けて、本日の講座タイトルは『地域作りのこれからを探る』

講座風景はコチラから→奥会津大学事務局 一般公開ギャラリー


******以下、ちょっと、ご本人の言葉を載せさせて戴きます*****

「江戸時代から一人も餓死者が出なかった、桃源郷のようなところがあるから見においでよ」と誘われ、秋田県河辺町(現、秋田市)の鵜養(うやしない)へ行きました。そこは、雄物川水系の岩見川のそのまた支流の上のほうにある、まさに山奥の孤立した集落なんですが、天保の飢饉のときも天明の飢饉のときも一人として餓死していないんです。

なぜだろう? と調べてみたくなり、鵜養に家を一軒借り、仲間と一緒に月1,000円で住みました。その集落は、主にミズナラの共有林を33箇所ぐらい持っているんですが、それを一年に一つずつまとめて伐採するんですね。最初、それを聞いた僕は、「山の斜面を全部伐採してしまったら土砂崩れを起こしませんか」と言うと、「何もわかってないねえ」と笑われるわけですよ。

なぜかと言うと、僕達が見てきた山の多くは杉や桧の人工林で、そういう木は上を刈ってしまうと根っこも枯れますから、大体10年位で根が腐ってきて雨が降ると土砂崩れが起きる。ところが、ミズナラのような広葉樹の森の場合は、上を刈っても根っこは死ぬわけじゃないから、ちゃんと横から萌芽して枝が出てきて、34年目に順番が回って来る頃には元の太さに戻っている。そうやって彼らは、持続的に森を利用して来たんです。

さらに、森を刈った後には2年目からワラビが生えて、3年目には猛烈な量になり、塩漬けにして保存食にすることができます。また、7年位経つと元の切り株が腐って来て、今度はそこに生えたキノコが貴重な食料になる。そして、人々は森に入り、2時間で歩ける距離の範囲で薪を拾い、肩に担いで帰ってくる。牛や馬に食べさせる青草や田んぼの肥料なども、すべて森の産物でまかなっていたわけです。つまり、誰一人餓死しなかったのは、「森が食わせた」からでした。

そんな風に、人々が森を利用しながら自分たちの命を維持し、自然の成長量の中で余剰分をもらいながら生かされてきた。自分達が暮らしやすいように森と付き合ってきたことにより、結果として森の多様性を維持できるサステイナブルなシステムを作り上げて来たんです。昔の人はCO2のことなんて考えなかったけれど、自分達が森から取り過ぎたり、逆に木を切ったり草を刈ることを怠けると暮らしも森も維持できなくなる、ということを知っていたんですね。
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澁澤先生から伝えられる言葉は、ひとこと一言、胸にズン!と来ます。

・・・山奥の小さな、少し土が混ざった色や匂いの湧き水が、澁澤先生の経験や思考や自由なココロという、石と土と砂、木の根、ふかふかの腐葉土を通過し、いつの間にか、とても澄んだ清水となって、人の目につく場所の湧き水になっている。それを、今度は澁澤先生のメガホンで呼びかけられた人々の、共感や感動の涙が合流していく内に、すっごい大きな河みたいな、母なる流れになって行く・・そんな、(なんか、大げさみたいですけど、実は正直な感想です)・・そんな、ストーリーが伝わるお話なんです。 本日の講座中も、涙を拭う受講生が何人もいました。3時間ずっと泣きっ放しだったという若い女性とお話しして、ウン!奥会津大学は、来年もそのまた来年も、ずっと続きますように!と、祈ってしまいました。

昨年聞き逃した方、今年度も聞き逃した方!、また澁澤氏をお呼びしますので、次回こそは、是非、講座の日のスケジュールは空けて下さいね!

偶然ですが、先日、三島町のnorieさんに、森の聞き書き甲子園映画チラシを「はい。」って渡されました。
三島町で上映会をするということでしょうか?・・・いいなぁ・・こーゆー企画は、奥会津大学の関連7町村全部でやりたいですよ~何方か、手挙げる人いませんか~? いたら事務局0241-57-2240までご連絡下さいまし。

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